shotachibaのブログ

ストレスで適応障害になった僕が、自分の内面を晒しながら曲を作るブログ

6日目

Aming for Enrikeにはまってます。

 

 

「学歴とかマジ関係ねーよ」

 

 

大学院2年

 

就活の結果、金融とか証券のシステムをコンサルからやる会社に内定をもらった。

 

最後の面接は副社長とお話した。

 

でけー会社のえらいひとは、貫禄がある。

(たぶん、休日にショッピングモールとかで見てもそうは思わないんだろうな。)

 

 

結構うれしかった。

 

学部生のころ、社会の皆様に散々ボロカスに言われてきた僕にとって

企業を大きくしてきた人生の先輩に、「君、うちにきてよ」

と言ってもらえるのは、それだけで価値があった。

 

 

最終的に、僕はこの企業の内定を辞退することになる。

 

 

結局、僕はバイトしていた企業に就職したい旨を社長に話す。

 

そうした理由はおおかたこんなもん。

 

  1. でかい企業と違って、一人の人として見てもらえる、気がした
  2. 社長の人となりが刺激的で好き
  3. 思い入れがある

というかんじ。

 

こうして、僕はこの会社で社会人としてのキャリアを描いていくことを決めたのだった。

 

 

学生生活 卒業

 

修士論文をやっとことさ出して

僕は無事学生生活をフィニッシュすることができた。

 

普通の学生よりも、長いこと社会に出なかった。

浪人1年、院2年、合計3年かかった。

 

その時間では、大人になりきれないガキンチョの考えのまま過ごしていたなと思う。

 

正直、僕は「大人」「こども」という分類が嫌いだ。

大人ってのは、どこか冷めているようなかんじがするし

苦しいことを割り切っているかんじがしていたからだ。

 

一方で、こどもってのは

「一人じゃ何もできないくせに、いっちょまえの口だけきいて。」

「わがままだなあ」

「自分勝手だ」

「もっと大人になってよ」

とか、そういうマイナスなことを言われるイメージがある。

あるし、言われてきた。

 

 

「大人」とか「こども」とか

 

僕は、そういう分類自体が、間違った判断だと思う。

 

「大人」は「こども」を責めるとき、なんだか偉そうだ。

別にどちらかが偉いわけではない。

大人になったから偉い、こどものままだからすごい。

そんなもんない。

 

ただ、僕は自分に合うスタイルのまま、人生を重ねているだけだ。

 

それを、社会のテンプレ(年齢)に当てはめて、

「お前はこうだからどーたらこーたら」とか言われるのは納得いきません。

 

「大人は、いろんなことを我慢して、生きている」

 

と、僕らの上の世代からよく言われてきた。

 

いやいや待ってよ、我慢はよくないぜ。

男性ならハゲるし、女性なら太るぜ。

 

終いには「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで」って娘に言われて

妻はせんべいばっか食って豚のように太っていき

息子はぐれて、、、、

 

 

話がだいぶそれた。

 

 

「我慢して生きる」

 

これは、いわゆる体育会系の文化だと思う。

 

10年も20年も前は、これでよかったんだと思う。

でも、これは今やオールドファッショになりつつあるんじゃないかな。

 

例えば、僕みたいなゆとり世代のやつから言わせてもらうと、

もっと自分にフィットした生き方を、自分で模索しながら生きるべきだ。

と思うわけだ。

 

語弊を恐れず言えば、楽をする、そして楽しむってことだ。

(サボるってことじゃないよ)

 

 

誰かに何かを押し付けられるのは、なんだか変だ。

 

僕はそう思う。

少なくとも、僕の周りのやつらは、みんなそうしているよ。

 

 

 

よく知らんけど、

団塊の世代は、バブルってやつがあってさ

イケイケドンドンの時代を経験してきてるわけだ。

 

たぶんけっこう楽しかったんだと思う。

僕は平成2年生まれなので、昭和の空気を知らないけど

高度経済成長からの勢いが続く中で、

大変ななりにも、いろんなものに期待や、楽しい未来を想像していたんじゃないかなあ。

 

そういうところで、僕は自分の父や母を尊敬している。

そんな時代を生き抜き、家族を養ってきた父。

文句一つ言わず、てきぱきと家事をこなす母。

 

ところがどっこい息子はこんなだぜ。

たぶん期待したような息子には育ってないと思うけど。笑

それでも、こんな僕を育ててくれたのはすげーことだ。

と、思っている。

 

もっというと、戦後焼け野原だった東京を見てきたじーちゃんばーちゃんは、

僕の想像も追いつかないような経験をしてきたんだろう、ってもっと尊敬してるよ。

 

 

また話がそれた。

 

で、その「我慢して生きる」という文化がなんやねん、ということだが。

 

これは、ぼくらゆとり世代とは、実は切っても切り離せない文化だ、ということ。

 

 

歴史や文化は継承される

 

繰り返されるし、脈々と受け継がれたり。

 

わかりやすくいうと。

例えば、みんな女子バレー部の部活風景って、見たことある?

 

僕はバスケ部だったのでよく目にしていました。

 

学校によって違うと思うけど、

基本的に、先生が終始ブチ切れてるんだよね。

 

うまくいかないと怒る。

機嫌が悪くなるとパイプ椅子をぶん投げる。

試合に負けると怒る。

 

みたいな。

怖い。笑

 

っていうのを、昔母親にしたんだ。

(ちなみに母親はバレーやってた)

 

そしたら

「それが当たり前よぉ〜」

って言ってた。

 

そう、それが昭和の人にとっては、普通のことだったのだ。

 

で、そういう鍛え方をされると、どういうことが起きるか。

 

それが当然だ、と無意識のうちに思うようになる。

それが教育だ、それが鍛錬だ。

って、下手すると思い込んじゃう。

価値観として形成されちゃうんだ。

 

年齢が何十個と離れているのに、

何十年前の価値観が、その人の中に形成されちゃうんだ。

 

 

幸いなことに、僕らよりも下の世代からは、

体罰だなんだって取りざたされるようになってきたから

そういうの徐々に減っていたはずだけど。

 

焦点を当てるべきは、ぼくらを含めて上の世代。

 

 

たとえば僕みたいに

「怒られんの嫌〜」

「押し付けられるの嫌〜」

「なんじゃこれつまらん〜」

 

と思う人もいっぱいいる。

 

でもそれと同じくらい、上述の価値観を形成してきた人たちもいるはず。

 

そういう対極の存在がぶつかると、どうなるか。

 

ということに繋がってくるわけです。

 

 

ちなみに

 

だからと言って、上述の価値観の人が悪人だ、とは言わないよ。

(その文化は僕にとっては悪だけどね)

 

だってその人だって、そうなりたくてなったかなんて、わかんないじゃんか。

アドラー的には、その人は「そうしたい」からそうしているんだ、っていうけど)

 

同じ人間じゃん。

たかだか年齢が2、3個違うくらいでしょ?

話せばわかるよ、大丈夫!

オープンにいこうぜ!

 

って思ってたんだけど。

まあ、そんなすんなりはいかないよね。

 

 

ほんで、なんでお前は適応障害になった?

 

単純にいうと、

先輩とウマが合わない、

とか、

職場の雰囲気が、

とかそんなんだけどさ。

 

僕は、話せば分かり合えるもんだと思ってた。

 

何かミスをする。

これは今回の状況がこうだったからこういうのが原因だ、と主張する。

それは前回もそんなことあったじゃんか。と一蹴される。

いやでもさっきも言ったけど、今回の状況は〜と言おうとする。

聞き入れられず。

 

というのが重なる。

どーせ言っても聞く耳もたれんな。

言うだけ無駄だな、疲れるし。

 

と思うようになる。

 

心がどんどん塞がっていく。

 

誰に何言っても聞く耳もたれねえ。

 

なんじゃこれ、おれが間違ってんのか。

 

おれのミスだしな。

 

おれの判断が甘いのか。

 

おれの経験がないからいけないんだ。

 

おれの判断は間違っているんだろうな。

 

何言っても不満にしか取られないんだな。

 

あー、またいきなり怒られた。

 

まじか。

 

そうか。

 

おれがだめなんだな。

 

 

 

みたいなかんじになっちゃうんだよ、人ってさ。

 

 

「そんなー!だって千葉くん早稲田出てんじゃん!頭いいんでしょ?大丈夫だよ!」

 

と、思う人もいるかなあ。

 

でもそういうこっちゃねんだよなあ。

 

 

学歴とか、マジ関係ないんですよ

 

まず最初に、学歴をモノにできなかった俺にもよくないとこがある。

それを前提に。

 

早稲田出てるとさ、変な期待されたりするんだ。

おたくのぼっちゃん優秀ね、みたいな。

 

変な言いがかりつけてくるやつもいる。

よくわからんけど。

 

肩肘はられる時もある。

うわあ早稲田かあ、すげーなあ。。。
とか。

いや関係ないんだ。同じ人間だぜよ。

 

種類は別々だけど、ネームバリューっていうのは簡単にレッテルをはれるもんだ。

入学当初、早稲田に入れたことを喜んでいた。調子にものってたと思う。ごめん。

でも、バイト先や高校の友達にあって、やっぱり上記のことを言われるんだ。

 

単純な感想、単純な賞賛

そういうものが、なんだかひどく不自然に思えてしまった。

うーん、同じ人間じゃんか。

と思ってた。

だから、正直学部2年あたりから、学歴関係ないよなーいらんなあ。と思っていた。

 

親不孝かな?

今は許しておくれよ。笑

 

まず、早稲田出ててすげーのは、ほんの一握りです。

ほとんどがふっつーの人だよ。

その辺の人となんら変わらないんだ。

受験勉強っていうテスト勉強を、人よりちょっとやっただけ。

偏差値が、人より高いだけ。

統計的に右側に分布しているだけなんだ。

 

あと、日本の大学は入るのが大変なだけなんだ。

だから「学歴なんか、入学までしか意味ねーぜ」っつって、

東大入って中退して起業して成功って人もいるし。

(ちなみに海外は逆。入るの簡単で卒業がクソ大変。らしい。)

 

だから、日本の大学は入学したあと4年間ボケーっとしてても、

サークルやり続けてても、酒飲みまくってても、バイトしまくってても、セックスしまくってても、バンドしかしてなくても。

最後の最後ふんばれば、そのネームバリューがゲットできる構造になっている。

 

もっと言うと、早稲田は8年まで在籍できるから、それで卒業しても、ネームバリューゲット。

 

もちろん、4年間必死に努力して、勉強して、何かを成し遂げる人もいます。

そういう人を、おれはすげーと思う。自身の目的を理解し、それを突っ走っているから。

 

自分の持ってるネームバリューを、自身でどう思うか、どう使うかは、人それぞれだよね。

 

 

関係ないなら、なんなん?

 

僕らは、どうやっても人とつながりをもって生きていく。

 

それが嫌なら、山奥にこもって仙人になるか、Cast Awayみたいに無人島でバレーボールと一緒に暮らすか。

 

まあそういうのはレアケースだよね。

 

ここ数日休んで、まだ具体的に答えは出てないけど。

 

大事なのは

 

そいつが何を感じ、考え、何をしてるか

 

だと思う。

もっと言うと

 

自分のやりたいことに、嘘をついちゃいかん

 

ということだ。

 

持ってるモノとかは生まれつきだったり、

何かしらの結果でしかないんだ。

 

だから、自分が何かいいモノをもっていたとしても、

それが今の自分の目的に合わないものだったら、

思い切ってほっぽっといても、いいんじゃん

 

っていうことを、今僕は日々おもっている。

 

 

身長めっちゃ高くてバスケしないなんてもったいない!

って言われたとする。

でもそいつが、めっちゃ将棋やりてえなあ、って思ってるとする。

だったら、将棋やっていいんだ。やるべきだ。

 

あなためっちゃおっぱいおっきいじゃん!

もっとアピールしたほうがいいよ、男はみんなおっぱい好きだよ!

って言われたとする。

でもその子が、これは隠したいもんなんだ、って思ってるとする。

そう思うんだったら、アピールする必要なんて1ミリもない。

 

でも人はさ、他人の持ってるモノから率直な感想を言うから

そういうので、コンプレクッスになる人もいると思うんだよ。

 

僕も同じように、逆学歴コンプになってる。

 

学歴のわりにうまいこと社会に馴染めないな。

 

そんなこんなを思っていて、僕はいまこんなかんじさ。

 

 

「学歴とかマジ関係ねーよ」 おわり

 

一旦ここで幕を引きます。

 

たぶんこのブログを見てる人は、僕のバンド生活で出会った人が大半だと思う。

 

でも多分、僕のこういう部分を知ってる人はほとんどいないんじゃないかなあ。

 

僕は、ビビリだ。

あと、いらんこと考える癖もある。

でも、そういうのが人からはわかりづらい。

 

それが僕の、生まれ持ったモノだ。

 

ここ数日のブログ記述で、僕はこれがわかった。

 

僕にとっては、大きな収穫だったなあ。

 

 

さいごに

 

今日も曲をつくったよ。

 

I wait you come back home.