shotachibaのブログ

ストレスで適応障害になった僕が、自分の内面を晒しながら曲を作るブログ

61日目

 

日数、あってなくね?

 

んー、そうなんですよね笑

 

62daysとして始めたこのブログ

なんで最終日が61日目なのか、というと

 

最初に投稿したのが3/31

これをすでに1日とカウントしたんだけど

 

続く2日目が、4/1で

なんか2と1がちぐはぐしちゃうから、やだな

と思い

 

日数的には62日だけど、タイトルは日数にそぐうかんじにしよう

 

とおもって、進めてきました笑

 

 

ここまで話してきたこと

 

いままでこのブログを見守ってくれた人、ほんとうにありがとうございました。

 

さて、ぼくがこのブログで話してきたことを簡単にまとめると

 

  1. 適応障害になって休んでるよ
  2. 過去の話 学歴編
  3. 過去の話 音楽編
  4. 日々おもったことの話

 

ざっと分けると、こんなかんじかな?

 

過去の話をメインに置いてきたのには、ちゃんと理由がありました

 

 

62daysブログの裏テーマ

 

裏テーマありました。笑

 

最後なので、ちゃんと書いときますね

 

  1. 過去の自分の出来事から、自分が何を感じていたかを思い出し、自分のルーツとして書き留める
  2. それを元に、今後の人生の指標とする
  3. それを恥ずかしげもなく晒すことにより、自分の「失敗したくない」恐怖感をなくす
  4. やりたいけど考えすぎてやれない、というのを、むりくり「毎日何かをやる」ことによって、良い感覚をつける
  5. 曲をスピード感良く作れるようになる
  6. 「自分の歌」というものを手に入れる

 

ざっとこんなかんじでした。

 

 

実をいうと、適応障害って診断をされたとき

なんとなく、これをやれば回復できるなってのがわかってて

 

運良くぼくはそれを実行に移せました

 

結局、病になった理由は、自分の人生を大切に考えてなかったから

 

だから僕は、いまとても元気だし

前にくらべて、ものをはっきり言えるようになってきたよ

 

よかったです。

 

 

1つわかった、めっちゃでかいこと

 

僕は、何か問題があったら、それがいつかスパーンと解決して

まるで雲ひとつない空を見渡すようなすがすがしい気分になれるもんだと

おもってました

 

でもね、たぶんそれは、僕にはないんですよ

 

いや、人によっては、いつでも晴れ渡ってる人いますけど

 

こと僕に限っては、たぶんないんじゃないかな

 

 

それが人間だ、それが僕だ

 

と、自分の中で受け入れられたことが

 

この62daysの中で一番おおきな収穫だったと思います



これからの生活は

 

先週かな

ボカして書いたこと

 

62days.hatenablog.com

 

実はね、おやすみが延長されたんですよ笑

もう2ヶ月休んでもいいことになったんです笑

 

で、まあそんなこんながあって

会社の方にも届けを出したし、会社にも伝えたけど

 

僕は、今働いている会社をやめます。

 

いろいろ学ぶこともあったけど

 

自分の人生において大切にしたいものを大切にできない環境を、自ら作り続けること

 

これは、自分の人生を大切にしてないこととイコールなんで

 

ぼくはやめます。

 

 

 

次は何をしようかな〜

と考えているんですが

 

昨日たまたま父親と飲みにいきまして。

 

両親には、不安をかきたてないように

僕がいまこんなかんじなのを秘密にしているんですが

(ネット検索すれば一発でばれるけどさ笑)

 

「将太はさ、人当たりもいいし、自分が何かをやって人が喜んでくれるような、そんなことをするほうが、性に合ってると、前から思ってたよ」

 

と言われました

 

こんなことを父から言われたのは初めてで

しかも最近自分が感じていることと同じことを言われたもんだから

 

「とーちゃん、それ早く言ってよ〜笑」

 

つったら

 

「ん〜でもさ〜、そういうのってやってみないとわかんないじゃん笑」

 

って言われました。

 

父は今65歳で、僕とは生きてきた世代がずいぶん違う

たまに考え方でぶつかることもあったけど

 

なんか、ちゃんとこの人の血を半分もらってんだな、って

もう半分は、かーちゃんのなんだなって

 

そう思いました。

 

息子、生きてます。笑



最終ふりかえり

 

34日目に、振り返りをやりました

62days.hatenablog.com

 

最終日なんでね、やろうと思います

 

まず、初日に宣言したことは

 

  1. 毎日の記録をする
  2. パーソナルな部分をおおっぴらにしていく
  3. 曲を1日1曲作って、 upする

 

ということでした。



①毎日の記録をする

 

毎日更新、というわけにはいかなかったけど

62days分、すべて書けました!

 

そういえば、0日目にざっくり考えた構成も、ぜんぶ済んだな

 

よかったです

 

 

②パーソナルな部分をおおっぴらにしていく

 

もう、これはね笑

できましたね笑

 

そう、これをやることによってわかったのは

僕は、自分をさらけだしたほうが、いろいろうまくいくんだ、ってことですね

 

かっこつけた瞬間に、かっこわるくなるみたいです

スキルがありません、残念でした笑

 

③曲を1日1曲 作って、 upする

 

っていう宣言をした日に、友達から

 

「あんまり自分に縛りをつけると、かえって苦しくなるから注意してね」

 

っていう連絡がきて

 

「うん、むりはしない」

 

って言いました笑

 

で、何曲つくれたんだ?とふりかえると

 

36曲つくれました!

 

ん〜、後半失速しましたね笑

 

でも、たいしたもんです

やっと、スタートラインに立てた感じかな

 

これからもどんどんつくっていきます

 

 

リアルの62daysを振り返って

 

いま、休みの当初から今までの日を思い返すと

 

ん〜、やっぱりずいぶん楽になりました

 

僕の体験から言えるのは

 

 

ってことです。

 

まだ通院してること、社会への復帰は一応してないんで

そういう観点からだと、完治しているわけではないのですが

 

それでもだいぶ元気になりましたよ

 

だから、ちょっとしたことで悩んだり、うまくいかねーなって思ってる人がいたら

「すんません、喉が痛いんですけど風邪ひいたっぽいんすよね」

ぐらいの感覚で、心療内科に行ってみてください

 

もちろん僕は病院巡りをしたわけではないので

心療内科が一概にぜんぶ最強、と言うつもりはありませんが

 

行ったら、なんか変わるかもしれません

自分の気づかなかったことを、気づかせてくれるかもしれません

 

そしたら、あなたが自分の人生についてゆっくり考えられるチャンスが

降ってくるかもしれませんよ

 

 

 

62daysを見てくれてた皆さまへ

 

はてなブログにはアクセス統計機能ってのがあって

 

毎日どれくらいの人が見てくれたか、数値化されるんです

 

これが、僕がこのブログを続ける原動力のひとつになりました

 

たまに友達から「ブログみてるよ〜、自分もこんなこと思うわ〜」

的な連絡をもらったりしてて

 

自分が自分のためにやってることなのに、それを気にしてくれる人がいたこと

そこから反応をくれる人

温かく見守ってくれていた友達

愛する人

 

みんなのおかげで、このブログは、なんともいい成果をあげることができました

 

ほんとにありがとうございます。

 

みんなに一人ずつ会いに行ってカントリーマームとか配りたい気分です。笑

 

 

今後はどうするの?

 

もともと決めていたことですが

 

この62daysブログは、今日でおわりです

 

なので、この記事が最後になると思います。

 

 

 

でもね、ブログ書くのって、けっこういいみたいなんです

 

ごっちゃりした思考がね、まとまりやすくなるんですよ

 

なので、別のブログを作って、続けようと思います。

 

62daysは、1冊の本みたいなかんじで

また自分でも見に来て、振り返れればな、と思ってます

 

 

さいごのさいごに

 

最終日に曲をつくんないんじゃあしまらないもんね笑

 

もちろん作りました。

 

これにて、62daysおしまいです。

 

まったね〜〜〜

 

気になることばかりを

みだりにたれながして

小さくうずくまっていた

 

生み出す言葉なんて

1+1ばかりで

とにかく、走っていければ

 

時計を止めていてくれよ

光景をこの目で見ていたい

予言ももうすぐ変えられる

 

知れない明日を夢見て

60日目

 

バンドって

 

彼氏彼女、夫婦みたいなもんだよね

 

って書きましたが

 

なんかすげー感覚的なことをいうと

 

自分の言いたいこと、相手の言いたいこと

それを理解し合いたい欲求ってのが、僕をバンドに駆り立てる一つの要因でした

 

でもね、それを最近バンドに求めてないんですよ

 

 

長らくお待たせいたしました

 

このブログは僕の内面をさらけ出すもので

内情とかもさらけてるんですが

 

たびたび出てきた「彼女」の存在

 

ちゃんと書こうと思います

 

 

 

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みんな大好き、もえちゃんです

 

もえちゃんは、Local Blue Sheepsのボーカル、moegiのことです

 

youtu.be

 

この人ですね

 

ちなみにこのギタリストが、いっしょにtizzyやってたギタリスト、ゆたかで

 

ベースはshinkaiのときにベース弾いてくれてた、ざっきーで

 

ドラムはおなじみこうくんです

 

んん、Local Blue Sheepsはゆかり深いんだ笑

 

 

出会いは

 

僕らが19歳のとき、当時もえちゃんがバイトしていたライブハウスにtizzyで出演することとなる

 

そこでドリンクのとこで働いていたのが、もえちゃんだ

 

当時のことを振り返ると、彼女は

「tizzyの中でいっちばん影薄かったよね!」

と僕のことを評する

 

やかましいわ

 

 

で、そこから知り合いとして何年か過ごし

 

shinkaiの初ライブの日、お祭りの日に

 

「ユニットでライブやろうぜ!」

 

とノリできまる

 

それが、これだ

 

youtu.be

 

furo

 

というなんとも言えないユニット名。笑

 

これは、またまたクレイマンの生が

 

「あーユニットやるんだー。名前?

んー、YYG(ヨヨギ)か、風呂、じゃん?」

 

となって

 

YYG < 風呂

 

だったので、furoになった

っていう笑

 

 

で、この一年後かな?

お付き合いが開始されます

 

で、去年から同じ家に住んでいて

 

休みの日はどっかいったり、家で一緒にゲームしたり

 

八丈島にいって夏休みを過ごしたり

 

歌ってる歌聞きあったり、ダメ出しされたり笑

 

もえちゃんの曲をアレンジしてバンドサウンドにしたり

 

自分らの悩みや、楽しいと思ってることを話したり

 

っていう生活を過ごしています

 

たのしいです。

 

 

音楽的にやってることが

バンドと一緒なのよね

 

正直言うと、僕はこれでかなり満たされた状況にいると思っています

 

今までの悩みだったり、これからのことだったり

もえちゃんに相談することもとても多い

 

そのたび、いつもケツを叩いてくれるような言葉をくれる

そんなかんじです。

 

 

書きたいこと

 

もえちゃんのことで書きたいことは山ほどある

 

 

ですがこのブログでは紹介しきれないので、このへんで笑

 

 

付き合って、もうかれこれ3年がすぎて

お互いの音楽の状況だったり、人生の状況だったり

いろんなものが変わってきた

 

それはそれでいいと思うし、僕はこの人と一緒に入れて心底幸せである

 

でもそれでは飽き足らない僕らは

 

これからの人生をもっと面白くしたいし、そう感じていたいから

ゆっくりと、ぼんやりと、未来の話をしています

 

あと、休みの日は一緒にFF7をやってるよ笑

 

 

なんで出したか 

 

なんでもえちゃんが登場したか

 

それは、僕の人生において重要なキーパーソンだから

 

この休みの間も、いろんなことを話したし

彼女の考えてることでいいなっておもってること、たくさん自分に取り入れてきた

 

だから、おおげさかもしれないけど

この人がいなかったら、今の僕はここまでいい状態にならなかったのではないか

と勝手に思う

 

なので、登場していただきました

 

ありがとね

 

 

さいごに

 

さて、いまのところ話したいことや考えたいことはだいたい全部かけた

 

次回で〆です。

59日目

 

shinkaiがスタート

 

今あるsincaiのスタートの話。

 

tizzyが止まって、僕は自分で歌うバンドをやりたいと強く思い

メンバーを探して、バンドをスタートさせた。

 

当時はバンド名がまるで決まらず笑

いろんなのを考えたが

 

結局これにおちついた。

 

shinkaiは、深海のこと。

別に深海について詳しいわけでもないし、ミスチルのアルバムが好きだからとかそういう理由でもない

 

ただ単に、響きが好きだったから。

 

そんなかんじでスタートしたshinkaiは、まあ僕が全然歌えなくて大変だった笑

 

それに、やっぱり自分で曲をつくって、自分が中心になって運営していくわけだが

いままでtizzyで周りに頼りっぱなしだったぼくは、まったくうまいことできなかった

 

それでもなんとか最初のライブに到達できた

 

 

youtu.be

これが初ライブの映像。

歌が下手とかじゃない、もはや歌えてない笑

 

tizzyが止まってから半年後、このライブをやった。

 

この日は下北沢GARAGEで、仲間たちでお祭りみたいなイベントだった。

レイマンレイマンとか、ローカルとか、チムニーとか、あと塩キャベツ売ってたりしてた笑

 

すごい楽しかったんだよ

自分がバンドで歌えた(歌えてないけど)初めてのライブだったし

 

誘った仲間と一緒にステージに立てたこと

 

それを、まわりのみんなが見ててくれて、かっこいいと言ってくれたこと

 

それがうれしかった

 

 

実は、今の名前になったsincaiってのは、クレイマンの生が「こっちのスペルのほうがいいよぉ〜」ってこのころから言ってたやつ。

(当時はつっぱねてた笑)

 

この当時は、僕は曲ができたらそれで満足、みたいなかんじだった

ん〜、あかんなあ笑

 

いずれにしても、このバンドが今の自分だ

そう思えるバンドがスタートしたわけです

 

 

のちに、一人ずつメンバーが抜け、その度あたらしくメンバーが入ってくれてたけど

結局またもやぼくが変になって、その構成ではできなくなった

 

 

 

ベーシスト千葉

 

そんなかんじでshinkaiをやってはいたけど

 

ありがたいことに、ベーシストとして僕を誘ってくれる友人がけっこういた

 

 

youtu.be

チムニーがFoZZtoneオープニングアクトでやったとき

 

youtu.be

アコースティック小宮バンドがヤマハの大会で決勝にいったとき

(今は無きSHIBUYA-AX

 

動画ないけど、lawrenceで残響祭名古屋編でたり

 

youtu.be

TRUMANもやった

これ最後、ツインボーカルバトルみたいだよね笑

 

 

どれもこれも素敵なバンドだったけど

ぜんぶ抜けてしまった

 

どれも、そのときの状況とか、自分のやりたいこととの兼ね合いとか

いろんなことあったけど

 

参加しないほうがよかったなんて思ったことはないです

 

どれもやれてよかったし、楽しかった

 

ただ、その当時にみんなに迷惑をかけてしまったことは、申し訳なかったと思ってます

 

自分が、いろんなことうまくやれる能力があればよかったな

なんて思うけど、それはないものねだりなので

 

やめてしまっても、未だに仲良くしてくれる友達は

ほんとにいい奴らすぎて、感謝極まってます

 

みんな、ほんとありがとね

 

 

sincaiとして再スタート

 

どんなときも、僕は自分の音楽をやりたかった

 

だからどのバンドも抜けてきてしまった

 

で、sincaiとして再スタートするわけです

 

最終的に落ち着いたメンバーは、こうくん、くろちゃん、バギオと、僕。

 

こうくんは、いままであげたバンドでほとんど一緒にリズム隊やってきたやつで

かっけーし、shinkaiの最初のライブのことを「あの時さ!外タレが登場したみたいだったよね!」って興奮気味に言ってくれた

 

くろちゃんは、tizzyのボーカルとドラムが新しく始めた、変わる変わる変わるでギター弾いてるの見て、カッケーし美しいフレーズを持ってるなあと思って声かけた

 

バギオは、アコースティック小宮でflagstateで対バンして、いかついプレーやギターなのにとんでもなく柔らかい性格に惹かれて、誘った

 

で、shinkaiのころはギターボーカルだった僕はベースボーカルになり

スタジオにこもる日々がつづく

 

そんでやっと出せた音源が

sincai.bandcamp.com

 

これ。今聞いても、僕はかっこいいと思う。

 

で、1回スタジオライブをやるんだけど

そのあたりでもやっぱり変になる

 

僕は、バンドがやりたいのか?ソロがやりたいのか?

どうしたいんだ?なんなんだ?

 

と。

これがだいたいもうすぐ1年前になるのかな。

 

 

なぜ、バンドをやると変になるのか

 

それは、僕がじぶんでやりたいことをちゃんとわかってないから、だと思う。

 

 

 

僕は、バンドに対して強い憧れを持っていて

自分もそうなりたい、と思っていた。

 

でも、ベースで人の曲弾いても「自分の曲やりたい!」ってなって抜けちゃうし

 

自分の曲やっても「そこはこうしてくれ」っていのうがかなり多い

 

その割に、進む方向とかプランはよくわかんない

 

みたいな。

 

そう、めんどくせーやつだ。

 

それで最近はsincaiの活動もしてないし、新しく誘われたバンドの参加も一旦抜けている。

 

なぜ、ぼくはこうなるんだろう?

 

なにがやりたいんだろう?

 

 

というのを悩んでいたところ

この62日間のお休みがかぶったので

 

とりあえず何も考えず自分のやりたいことをやってみよう

 

と思って、毎日曲を作る、とスタートし、ライブも一人でやり

というのをやってきたわけです。

 

で、ラッキーなことが起こった。

 

自分が行動を起こしたおかげで、ちょっとしたことが見えてきたんです。

 

 

進みたい方向 

 

なにをやりたいか?

という議論をする前に、通過しときたいことがあります

 

⓪方法論

 

今回採用する方法論は、結果論でも原因論でも目的論でもありません。

 

採用したのは

「ザ・俺のうまみを出しまっせ論」

 

です。

 

 

①ぼくは何ができるのか?

 

音楽に関して、できることをあげていきます

 

  1. ロディアスな曲を作れる
  2. 何かのエンディングっぽい曲を作れる
  3. 自分の悩みや、いいなと思ってることを、ストレートに歌詞にできる
  4. 力強く、かつ温かみのある歌が歌える
  5. ギター、ベース、ピアノが弾ける
  6. DTMはそれなりにいじれる
  7. それなりには、いろんなことを器用にこなせる

 

こんなところだろうか。

 

②ぼくにできないことは?

 

自信ないことを書いていきます

 

  1. 世の大多数の人を感動させ、うっとりさせるような音楽家になること
  2. 日本中の女子高生をキャーキャー言わせること
  3. バンド最高、バンドがあれば人生どうでもいいぜF**k、というスタンス
  4. 「売れる曲書いて」と言われてそれを書くこと
  5. 変人にしか作れない世界観を構築すること
  6. 大金を稼ぐこと

 

自信ありません。イメージすら湧かない。

 

 

③ ①の物を持っているぼくは、なにができるだろう?

 

あたりまえのことを書いていきます

 

  1. ①を組み合わせて、自分自身を表現した歌が作れる、歌える(soundcloud参照)
  2. 曲を作って音源にできる
  3. どっかいってライブできる

 

ここはこんなもんで。

 

④もしかしたらできるかもしれないこと

 

もしかしたら、こんなことできるんじゃないか?

っていうのを書いていきます

 

  1. 作った曲が、誰かの心に残るかもしれない
  2. 言った言葉が、誰かの勇気になるかもしれない
  3. やったことが、ちょっとずつ積み重なって、時代をつくるかもしれない
  4. それを自分でも感じられて、次はもっといい作品を作れるかもしれない

 

で、これがループするかもしれない = サイクルになるかもしれない

 

そんなサイクルを作りたいな。

そしたら僕はもっとおもしろいことを感じれるし

受け取った人はさらにおもしろく感じるんじゃないかな。

 

これが、僕が音楽をやるよりどころとなるものなんだ。

 

ようやっとわかったことでした。

 

別に、自分の存在を知らしめたいだけなわけじゃないし

人の為に何かをし続けたいわけでもない

 

それが僕です。

 

 

⑤どんなどんなスタンスでか 

 

サイクルを作ること

 

それを僕は、コミュニケーションの一つだと思ってます。

 

なので、アーティストとして、アーティスト然としたスタンスを取りたいわけではなく

一人の人間として、サイクルを作りたい 

 

そういうかんじです。

 

音楽は大好きだから、やめるつもりもない

もうライフワークに組み込まれているものだから。

 

それを、自分の人生で音楽を占める割合を、グググっと広げていきたい

それがいまの、僕が音楽をやる欲望です

 

 

さいごに

 

何かの方法論にそぐいながら考えないといけないかな。。。

とか思ってたけど、全然そんなことなかったです

 

結局それすらも自分に合わないなら

その方法論から自分で考えちゃえばいいだけの話で

 

むしろそれをできたほうが、人生は楽に、しかも楽しくなると思う

 

 

58日目

 

浪人生時代

 

かつて書いたように(2日目)、浪人時代は1日10時間勉強しっぱなしの毎日

 

それでも音楽は聞けるから、自習時間や勉強の合間なんかによく聞いていた。

 

当時は9mmがめっちゃ流行ったのもあって、残響レコードコンピレーションをよく聞いていた。

この体験が、僕の曲作りやsincaiのバンドサウンドに大きな影響を及ぼしたのは、まぎれもない事実だと思う。

 

あと、大好きなELLEGARDENが活休して、the HIATUSとNothing's carved in stoneが動き出し、それをめっちゃ聞いてたなあ。

当時は特にNothing'sの登場が衝撃的だった。インディーズシーンをバコーンと打ち抜いてきた感覚。

 

で、楽器のほうはというと

「さすがに1年勉強ばっかすると気が狂う!時間管理するからベース弾かせて!」

と親を説得し、ちょっとずつ弾いてた。

 

音楽的には、いわゆる邦楽インディーロックを聴きまくっていた時期だと思う。

 

 

浪人終了

 

大学合格が無事決まり、何もない3月を過ごしていたとき

 

当時友達になったやつから真昼間に電話がかかってきた

 

「今、大宮でスタジオ入ってるんだけど、ベースのやつがばっくれたから大変なんだ!ひまだったら今すぐこない!?」

 

ひまだったので行った笑

 

それがまぎれもない、tizzyというバンドだった。

 

大宮のゲートウェイは、駅からどうやっていけばいいのかよくわからんところにあるし

店員さん怖いし、たばこのにおいめっちゃきついし

部屋に入ったら、髪が超長くてテンションMAXのギタリストと、突然の来訪者に戸惑いを隠せない前髪長くて目が見えないボーカルと、口も音もうるせードラマーの3人が待っていた。

 

めっちゃこわかった。笑

 

それがきっかけで、僕はtizzyというバンドに入ることになる。

 

たぶん、大学入る前に1回くらいライブしたかな?

めちゃくちゃだったけど笑

 

 

tizzyとは

 

これだ

youtu.be

 

とにかくうるさいバンドだ笑

 (この映像は22歳のときかな)

 

これを僕は、2年間やってた

 

やってる当時はとにかく大変だった

 

授業の後に練習があるから、片道2時間の通学電車でずっと重たい機材と一緒だし

 

いくらバイトしてもお金はぜんぶバンドにつぎこんだし

 

友達をライブに呼んでも、どうしようもないライブしちゃったり

 

曲は暗いと言われたり

 

メンバーとはけんかするし

 

めんどくせーバンド先輩にからまれたり

 

ライブハウスやブッカーともめたこともあった

 

 

 

でも、まぎれもなく僕の青春だった

 

そのときできることは全部やろうと思えたし

 

友達もいっぱいできたし

 

ちょっとしたきっかけだって、たくさん作れた

 

かっこいいって言ってくれる人もけっこういたし

ファンになってくれた人もいた

 

このバンドで売れたいと強く思った

こいつらと一緒なら、かっこいい音楽できるなって、

大丈夫かなって思ってた

 

バンド人生の土台を作れたと思うし

自分の居場所もできて、よかったなって思ってた

 

 

でも、うだつの上がらぬ日々は続いて

結局tizzyは活動休止 

 

そのきっかけは僕だったと思う

 

僕は当時の、あのバンド内のどうにもならない状況や空気感

これからくる謎の威圧感みたいなものに、押し負けた

 

 

あと、自分のやりたいことが強くなってきたのも自覚していた

 

初めて1年半くらい経った頃に、僕は曲を作り始めるようになった

それを自分で歌いたいと思うようになった

自分のこだわりが強く出てきたのも覚えてる

 

そうなると、それに合わないものはなんだかやだなとおもうようになった

アソビの部分を持てなくなっていた、おかしくなってたと思う

 

そんなこんなが重なって、tizzyは止まった

 

大好きだって言ってくれた人、仲間には、本当に申し訳なかったと思ってます

 

けれど、ほんとにあの時はあの選択しかできなかったのよ

言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど(そうだとしてもいいけど)

そこにしか道がなかったかんじ

 

それくらい当時のバンドの状況はぐっちゃりしてたし

僕も変だったと思う

 

 

今思い返しても、今僕が音楽をやってるつながりは、だいたいtizzyでできたものじゃないかと思う

 

tizzyで出たライブハウス、見にきてくれた友達、仲良くなった仲間、tizzyでのプレーを見てバンドに誘ってくれたやつら

 

実は、活休になってからしばらくは、これがコンプレックスだった

 

それくらい自分にとって大きな存在だったバンド、もうやってないのにそのイメージがつきまとううっとうしさ、やりたいことと実力のギャップ

 

なんかそういうごにょごにょしたものたち

 

まあまあしんどかった

 

 

今はというと

 

そんなバンドをやってたのも、もはや5年くらい前の話

 

時が過ぎたこと、いま自分がやりたいことをやれてる感覚

そういうのが、当時抱いていたコンプレックスを解消してくれたと思う

 

なので、今tizzyの話をされても「あのバンドうるさくてヤだよ〜笑」くらいで話ができる

 

でもまあ、当時一緒にやってた奴らはどんどん売れて、話題になったりTVに出たりしてるやつもいる

 

そういう人たちが出てきた時、これまた焦ったりコンプレックスになりかけたけど笑

(いまは大丈夫)

 

結局、過去にとらわれていただけなんだね

それを言い訳にしてなんもしてないだけ

だから、なんかすればさらっと解決できちゃうんだ

 

っていうのを、この2ヶ月で学んだよ僕は

 

 

バンドって、やるのしんどいんですか?

 

結論から言うと、僕はそうではないと思う

 

楽しいバンドはいくらでもあるし、バンドに関わる方法なんてごまんとある

 

例えば、メンバーじゃなくてもサポートって形で活動をするのもアリだし

ソロプロジェクトにして、まわりは全部サポートっていうのもよくある話

 

それでも世の中には、解散だー活休だー脱退だー不倫だーなんじゃーかんじゃーっていうのがつきまとうバンドがめちゃくちゃある

 

でもまあ、これは「バンドだから」っていうのではないと思うんだ

 

人が集まれば、熱意だったり何かしらのプランだったり

そういうのがぶつかり合うものだ

 

走る速度の違い、思い描くものの違い、熱量の違い、自分の人生で大切なもの、守りたいものや大切な人

そういうのって、人によってめっちゃ違うじゃないですか

 

それが、感覚的に一致しているかどうかっていうのが大事なんだと思うんです。

 

それか、それをお互いに認め合い許しあえるような関係があるor関係を維持する努力をしようとできるか

 

そういうのがポイントなんではなかろうか。

そのポイントから外れると、人はこっぴどい喧嘩をしたり、お別れをしたりするのではなかろうか。

それが、バンドをしんどいと思わせる要因の一つだと、僕は思います。

 

 

こういう関係は

彼氏彼女、夫婦の関係に近いと僕は思う。

 

逆に、家族とはちょっと遠いもの

言えばわかってくれるのが相手ではないし。

(家庭内で喧嘩してるケースは置いておきます)

 

 

 

 

ちょっと長くなったけど

仲間との感覚や、見えているものを共有できるかっていうのが

人の集まりには必要なんだと思うんです

 

でも、基本的にバンドマンは音楽を始めた時

「音楽たのしい!楽器楽しい!ライブしたい!CDつくりたい!おれの音楽を聞け!」

という初期衝動で動いているから笑

 

それを押し通そうとするやつが3人も4人も集まったら、そりゃしんどくなる笑

 

 

だから、ぼくが言いたいもっとわかりやすい結論としては、

「仲良くしようぜ」

ってことです。笑 

 

逆に、ちょっと感覚ちげーな、と感じたら

それは一緒にやるべきじゃないかもしれない。かもね。

 

 

お前は初期衝動否定派なのか?

 

そんなことないです。

僕は初期衝動が大好きです。

 

そういう人たちが伝説を作るのも好きだし、

それでずっと駆け抜けている先人たちも、大好きだよ。

 

憧れています。

 

 

正直に言うと

僕はほんとにそれしかなかった笑

 

でもそれで、いままで幾度となく失敗をしてきたし

なのに「なんで失敗するんだろ、わからん」と、考えることを放棄してきた。

 

僕がはっきりしないことによって今までたくさんの人に迷惑をかけたし

期待してくれたのにそれに応えられなかったりした

 

 

じゃあ、初期衝動が僕の失敗の原因なのか?

 

それの答えは、明らかにノーです。

 

26歳になって、やっと失敗の原因がわかったんです。

 

「はっきりしない、迷う。」

 

これが僕をだめにする原因。

僕自身が生み出している大いなるもの。

 

 

別に迷うのもいいと思うんだが

いかんせん僕はそれが長い

 

それは、今までずっと書いてきたけど、

考えすぎているからってのが原因だったんだと、今は思えます

 (感じていないってこと)

 

 

バンドや音楽って、初期衝動を忘れちまったら

とたんにつまんなくなるんだぜ。

 

 

 さいごに

 

もうすこしでおやすみが終わる。

 

このブログも、〆に向かってますよ!

57日目

 

楽器買取

 

少しずつ断捨離をしようと

 

悩んで悩んで、楽器を売りに行ってます。笑

 

 

でもなんだってあんな安くなっちゃうかな。。

一緒に持ってったエフェクターのほうが高く売れちゃったよ笑

 

うーん、なんとも言えぬ気持ち、、、

 

未来は選べる

 

今日たまたま、細美さんが出てたラジオを聞いてた

 

リスナーからの相談コーナーで

「後悔ばっかで進めていない」

っていうお悩み相談されていて

 

細美さんが言ってたのは(簡略化すると)

「過去のことをずっと見てても、それは変えられないものだから

それより未来のことを考えたほうがいい。未来は自分で選べるもんだし

今の自分がいいかんじとか、そういうのは周りの状況じゃなくて自分が決めていいもんなんだぜ」

 

って言ってた。

 

彼の言葉に何度救われただろうか。

 

僕も過去を見がちだから、こういう言葉はすごくグッとくる

 

自分からもこんな言葉が出てくるようになればいいな。

過去は、たまにふりかえるくらいでいいのかもね。

 

 

さいごに

 

過去にあったことは、それはそれ。

それくらいライトなスタンスでいたい。

 

それでも、あのころの欲張りな僕を忘れたいんです笑

 

 

I want to forget greedy me

I already have too many things

56日目

 

昨日のインパク

 

昨日のライブのインパクトをそのままひきづりながら今日が始まった

 

僕は今日1日ものすごく迷って、しかも混乱していた

 

はて、自分のいいとこなんだっけ?

 

と。

延々繰り返されるこの問いを、一日中ただひたすらと考えていた

 

結局、答えはさっきになってやっと出た

 

  1. まず、悩んでたのは考えすぎが原因だ
  2. 自分はストレートマンだ
  3. 憧れどおりには自分はならない

 

この3つ。

 

考えれば昨日の悩みは解決されると思ったけど

それはとんだ勘違いだった笑

 

複雑に考えてもいい答えなんて出たことない

簡単にしようぜ

 

憧れは、その人の道を行った結果だから

どうやったって自分はその道はいけない

ので、自分の答えは自分がやってることで出る

 

ということだ

 

なにを大層に悩んでいたんだろう笑

 

 

さいごに

 

62daysが終わりに近づいているけど

 

これからもやりつづけるだけですね〜

55日目

 

ライブの日はやっぱりくもり

 

雨がふらないのに、曇るだけ曇ってる

 

僕がライブの日は、なんでかいつもこんなだ笑

 

傘はいるかな、いらないか、めんどいし

と思いながら新宿へ向かう

 

 

新宿NINE SPICES

 

前に一回だけ遊びに来たことあったけど

出るのは初めて

 

最近できた曲もやろうと思って、少しチャレンジ

 

この日は、出てる人みんな個性ありまくる人たちばっかだった

 

当の僕はなんだかいろんなことを考えすぎていたような気がする

困ると考え込む癖は、まだ抜けきっていないらしい笑

 

すごく勉強になりました、出れてよかった

 

 

さいごに

 

ここから、翌日までひっぱる悩みが開始する笑